社会 の最近のブログ記事

出した。
話が拡散しないようにあえて若手育成に絞ったけれど、それはそれで偏った文章になったしまった感じも。
こういう文章はやっぱり苦手だ。
基礎科学全般でもう 1 つ出そうかな。間に合うのか?

文部科学省

中川正春 副大臣殿
後藤斎  政務官殿

 私は○○○○に在学しております○○○○と申します。今回の行政刷新会議の事業仕分けにおきまして文部科学省の科学技術政策に関する予算のほぼすべてが縮減・廃止という評価を受けたことに対し、強く危機感を抱いております。
 事業仕分けを受けて自らのブログ上で意見を表明しております[1]が、今回は特に当事者である若手研究者の一人として事業番号3-21 競争的資金(若手研究育成)のうち特別研究員事業および特別研究員奨励費に関してコメントさせていただきます。

[1] http://www.chaoticshore.org/blog/2009/11/14-021318.html

 はじめに、これまで多くの研究者が研究費の出処をあまり意識してこなかったことは事実として重く受け止めなければいけないと感じています。今回の事業仕分けによって、それを改めて認識するに至ったことは、強く反省する点であります。
 仕分け人の方の多くが誤解されているようですが、理系大学における大学院生およびポスドクは研究の最前線に立つ研究者であるということです。マスコミなどでの研究成果の発表では研究室を主宰する教授の名前のみが大きく取り上げられますが、その裏で実際に動いているのは大学院生・ポスドクです。事実、研究成果を発表する最大の場である学術論文では、第一著者のほとんどは実際に研究を行った大学院生・ポスドクとなっています。
 一方、大学院生・ポスドクはその身分上確たる経済的な基盤を持ち得ません。特別研究員事業は、それを最小限度で支える制度、また特別研究員奨励費は大学院生・ポスドク各々の自主的な発想に基づいた研究を遂行するための必要不可欠な研究費となっています。そのような意味で、仕分け人の「ポスドクの生活保護のようなシステムはやめるべき。本人にとっても不幸」という発言は、このような大学院生・ポスドクの現状をまったく理解していないものとして研究室内のみならずインターネット上で多くの研究者が抗議の声を上げています[2]。また、「ポスドクに教員免許を与えればいい」との意見ですが、ポスドクは研究者としての教育・実践は豊富であり、大学学部生に対しての教育は可能でしょうが、教職課程で求められる種々の教育学を学んでいないポスドクが初等・中等教育を受け持つのは難しいと考えます。

[2] http://mercury.dbcls.jp/w/

 この縮減が実行された場合、多くの若手研究者およびその卵である学部生は、基礎科学分野から身を引く、あるいは海外に研究の場を求めることが予想されます。事実、私の周囲の修士課程の大学院生や学部生は、今回の事業仕分けを受けてこのままでの博士課程への進学に悲観的になっており、私もそれを勧められない状況です。私自身も博士課程修了後の進路として海外の研究機関を念頭に再検討を始めております。このように個々の研究者は自らの活動の場を移せば済むことですが、資源に乏しい日本という国家の科学技術戦略として人材の流出、しかも世代の断絶を伴う形での流出が容易に予想される今回の事業仕分けが正しいのか、私は強い疑念を抱いております。

 また、このような若手研究育成の縮減は、現政権が掲げている子ども手当て・高校授業料無料化といった政策とも矛盾するものであると考えます。これらの政策が実行されれば、初等・中等教育の充実が見込まれます。その結果、おそらく高等教育機関である大学への進学が促進され、相当数の学生が理系領域に入ってくることになるでしょう。しかし、先に述べた理由で大学での研究体制が崩壊していては、何のための初等・中等教育の充実でしょうか。

 以上の点をご勘案いただき、日本の科学技術を担う人材の育成に関わる予算の確保につきまして、強くお願い申し上げる次第です。

実験の合間に見ていた動画配信&twitter の TL より。

まずは自分の立場を示しておく。
基礎化学系の大学院博士課程 1 年。先日 DC2 不採用確定。
いわゆる研究者の卵。若手育成の範疇にある。

まずは仕分けの結論だが、13 日の WG3 で対象とされた案件はすべてが縮減あるいは廃止という結論となった。

全体を通して。
説明側の文科省の役人も仕分け人側も、どちらも「現場」を知らないままで話を進めていて、呆れたというのが正直なところ。
そんな場で日本の科学技術の将来に関する話し合いがされるのはね。

そしてどちらも致命的なまでに準備不足。毛利さんを除けば意見がかみ合わずまともな議論ができていなかった。
研究に携わる人たちがそういうアピールをしてこなかったというのはあるけれど、ここまで認識の差が大きいということに愕然とした。
これからは研究者サイドがもっと情報を発信していかなければいけないのだろう。

各論は突っ込みだすときりがない&自分が冷静でいられる自信がないのでマクロな視点から。

「納税者がトップレベル研究者にお金を払った分、納税者個人にもリターンをもらえないと納得できません!」

これは仕分け人の蓮舫議員の言。自分としては趣旨そのものを否定するつもりはない。リターンを金銭的なものに限らないという条件付だけど。

研究、特に基礎研究は、すぐに目に見える形でのリターンは期待できない。10 年後、20 年後に何かのベースとして実用化されていれば儲けもの。
人類の知にひっそりと 1 ページを付け加えるだけ、というものが多いのも事実。だけど、これでもリターンとしては十二分だと思う。
もともとアカデミックでの基礎研究というのはそういうもので、応用を考えている人のためのライブラリの構築こそが本質と言えるだろう。

しかし、短期的なリターンだけ、採算性だけを求められると、こういう土台となるべき基礎研究はほぼ確実に崩壊してしまう。
今回対象とされた理研のスパコンや SPring-8、バイオリソースなどは多くの研究者にとって欠かせないツールであるし、科研費、競争資金、若手育成、理系教育は、現役の研究者および次代の研究者の卵にとっては必要不可欠である。

特に若手育成、理系教育は、世代の連続性を確保する上では欠かせないと考える。
いわゆる「理科離れ」の問題は理系領域への人の流入を弱めてしまうし、仮に高校での中等教育を無償化したとしても、その上にあるべき大学、大学院での教育、研究がボロボロになっていては、誰も科学技術の道へ進もうとはしないだろう。
資源のない日本にとっては、科学技術と人材こそが発展の鍵ではないだろうか。
今回の仕分けがそのまま通ってしまえば、その柱が崩れてしまう。

博士課程に進んだのは自分の意思だし、いまさらそれを否定するつもりもないが、現状では後輩に同じ道を勧めることは到底出来そうにない。相談されたら否定的な態度をとるつもりだ。勧めるとしても日本ではなく海外。かく言う自分が博士修了後に海外へ行くことを考え始めているのだから。
日本という国は嫌いではないが、日本という国で研究を続けることはできなくなってしまうのか。それがなんともやりきれない。

今回の仕分けでは、会場からのリアルタイムでの動画配信や、twitter 上での議論など、これまであまり見られなかった形で情報がやり取りされていた。
また、仕分け後には、まとめサイトが立ち上げられている。
こういう形で、今までお世辞にも機能していたとはいえない研究者間のコミュニティが構築されようとしていることには期待したいと思う。もちろん自分もその一員となるつもりだ。

ノーベル平和賞にオバマ米大統領 核なき世界へ尽力

化学賞に引き続き平和賞。
見出しを目にした瞬間「今日は 4 月 1 日じゃないよな」とおもわずカレンダーを確認してしまった。
いくらなんでも早すぎじゃないか?というか、まだ尽力し始めたであろう段階であって何も成していないと思うんだが……

業績を認められてから十年、二十年経ってからやっと受賞の化学、物理、医学・生理学とのこの扱いの差は何なんだろう?
いつからノーベル財団は予想屋になったんだ?

今年のノーベル賞は首をかしげたくなる選考が多いなぁ。

ノーベル化学賞、英・米・イスラエルの3氏

ノーベル化学賞の話。
リボソームの構造決定・機能解明って、化学っつーか生化学、生理学の守備範囲だと思うんだ。
んで医学・生理学賞はテロメアとこれまた生化学寄り。
ここ 5 年の流れ (ユビキチンによるタンパク質分解→メタセシス→DNA 転写→固体表面化学→GFP) から、今年は有機化学、しかも大本命のパラジウムケミストリーが来ると期待してたんだけどなぁ……

今年は「化学賞なしで医学・生理学賞が 2 つ」と理解しました(何
つーか、生化学優遇されすぎ。化学からも医学・生理学からも分離して新しく生化学賞つくればみんな幸せになれるよ、きっと。

30 日の総選挙の当日は所用で 20 時までに帰ってこれるか定かではないので、今日のうちに期日前投票に行ってきた。
現地で宣誓書を書く以外はいつもの投票所とほとんど変わりはなく。
あっさりしすぎててちょっと拍子抜け。

公選法やらなにやら面倒なことがあるのでこれ以上は書かないけれど、
みなさん、投票には行きましょう(何

というタイトルの論説が、今月の日本化学会の機関紙『化学と工業』第 62 巻第 8 号に掲載されていた。

先日の博士課程定員に関する文科省の通知 (これまでの博士量産推進から定員抑制への転換) を受けてのもので、重点化が抱える問題点と今後について述べており、さらにそもそも大学院重点化とは何を目的としていたのかについて論じている。数年後の自分と重ね合わせて読んでみた。

重点化がもたらした問題の最大のものは博士の就職難である。これについては博士の量と質が原因であるとしている。毎年 16,000 人の博士が生まれているのに、それを受け入れるパーマネントのポストが大学、民間ともに不足している。民間に至っては

主要企業の 6 割が博士を「ほとんど・全く」採用しておらず、7 割以上が「そもそも博士を採用する必要がない」と答えている(07 年度「民間企業の研究活動に関する調査報告」)。

という燦々たる状況のようだ。
また、定員を増やす一方で定員割れすると国からの補助金が減らされることから、博士のレベルが低下したとの指摘も。

パーマネントポストにつけない博士の受け皿として広まったポスドクも、結局は「使い捨て」。欧米のようにキャリアアップの一環とはならず、研究室にいいように使われる存在になってしまっている。

一方で、博士自身の「甘え」にも言及している。周りがどうであれ「博士課程への進学を決めたのは自分」であるのは確かだし、自分で博士を選択した以上はその責任は自分が負わなきゃいけないのは当然。
しかし、素直に同意できない部分がある。

「どんな職業なら就職してもいいか」という問いに圧倒的多数を占めたのは「研究者」(74%)。科学記者、知財関連職、教員、企業家など研究者・技術者以外の職業は軒並み 10% を割った。

というのは博士まで進学した人間なら無理はないだろう。博士をとって研究・開発あるいは教育を強く目指すのはそんなにおかしなことなんだろうか。
少なくとも、科学記者や知財を志望するなら博士には来ないと自分は思う。

私が彼らの親なら「えり好みしている場合か」と小言の一つも言いたくなる。

に至っては「余計なお世話だ」と返したい。

つまるところ、数だけ増やしてどう使うかを考えていない、

どんな人材をどう育てるかについてほとんど検討しないまま量だけ増やし、余ったといって減らす

のが「大学院重点化」の本質だったようだ。

かくいう自分も、博士課程に足を突っ込んだばかりで論文も出していない中途半端な状態であるのは間違いなく、さらに研究職を相当強く志望しているわけで。博士取得後の進路は今からしっかり考えておかないとなぁ。

「脳死は人の死」臓器移植法成立 A案、参院でも可決

衆院、参院と結局ろくに議論もせずにあっさりと A 案が可決されてしまった。
推進派がなんと言おうと、脳死になったらつべこべ言わずに他の人に臓器を回せ、という暴論でしかないわけで。
脳死かつ移植可能な状態って交通事故とか突発的な事故なわけで、そんなときに本人の事前の意思表明もなしに家族がまともな判断をできるとは思えない。
親族への優先提供にいたっては、何をしたいのかさっぱりわからん。
今までの理念、制度を根こそぎひっくり返そうとしているくせに、こんな拙速な採決が許されるのだろうか。

遠くない将来の予想図
・脳死になった家族からの臓器提供を拒否→病院関係者その他諸々から白い目で見られる→ネットに実名が流れて大炎上
・移植目当てで親戚を車で轢く(即死しない程度に)→優先的に自分が移植対象に
・金を積めば優先順位上位へ繰り上げ可能に→金持ちしか移植を受けられなくなる→借金のかたに脳死での臓器移植+生命保険のコンボ成立
・親が金目当てで子どもを虐待(もちろん即死しない程度に)→臓器提供を承諾して大金持ちに

俺自身は脳死になったら臓器提供してもいいと思っててカードも持ってるけど、こんな馬鹿げた法案が通ってしまうと
とりあえず、今持ってるカードは破棄して、提供拒絶カードとして書き直すかゆっくりと考え直しますか。
あ、ゆっくり考えてる間に事故ったらダメじゃん……

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